Rabbi Zelig Pliskin 著 Conversations with Yourself の第39・42・45章から
抜粋
誰かから批判された後で自分に何を言うか
誰かから批判されたと想像してみよう。批判から何か肯定的なことを学ぶ素晴らしい機会を喜んでいる自分も想像してみよう。批判的なフィードバックとは今自分を向上させることができるということを意味する。それから「自分の役に立つことを言ってくれた人に感謝している」といった独り言を言っている自分を想像してみよう。
しかし多くの人のように批判的なフィードバックを人生における最高の喜びのひとつと考えられなければ、例えば「批判的なフィードバックからは成長することができるのだから、人から言われたことに耳を傾け客観的に吟味する内的力・勇気・誠実さを培おう」といった独り言を自分に言うことができる。
「こんな批判は自尊心を低下させる」といった独り言を言う人もいるかもしれないが、これは間違っている。自尊心を低下させるのは批判自体ではなく、その批判に対する自分の考えだからである。
あなたは自分の放送番組を1日中流している
毎日を始める際に以下のようなお知らせを聞いているところを想像してみよう:「番組にようこそ。今日もそして毎日放送中。この瞬間から残りの人生ずっと続き、番組を消すことはできないが、何を聞くかは選べる。賢く選択しよう。番組が思い通りに進行しなくとも動転しないように。」
もし上のことが自分の頭の中の番組で聞きたいことであるならば、それは選択できるし、別の番組が聞きたいのであれば、聞きたいものを選べばいい。
自分の頭の中の番組には自分の望むどんなゲストでも招待できる。自分の頭の中のゲストに何を語ってもらいたいだろうか。もし否定的なことを言うゲストが出てきたら、肯定的なことを言うゲストに替えればいい。そして1日中自分だけを対象にした感謝のメッセージを聞くことで多くが得られる。
不必要な自己制限
自分の可能性を無視して不必要に自分を制限する人が少なくない。だがこうした不必要な自己制限をもっと刺激的な独り言に導いていくこともできる。例えば、「今不必要に自分を制限しているということは、自分にはもっとできるという選択をする能力と可能性を備えているということにもなる」といった独り言を言えばいいのである。
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