Rabbi Zelig Pliskin 著 Thank You の第38・39・40章から
抜粋
感謝に期限はない
ずっと前にしてもらったことに対してまだ感謝していないことに今気付いたとしても、その感謝を伝えるのに遅すぎることはない。過去に受けた親切や恩恵を思い出したら、感謝を伝えれるのがよい。してもらった時には取るに足らない些細なことだと思っていたのが、後になってそれから多くの恩恵を受けたことに気付くことがある。こうして感謝のレベルが増した時は、それを伝えれるのがよい。同じ人に同じことに対して何度も感謝してもよい。感謝に期限はない。
感謝を受け入れる
自分がしたことに対して誰かから感謝されたならば、その感謝に感謝するのがよい。感謝に感謝することで、この最初に感謝してくれた人は他の人たちにも感謝し続けるであろうからである。
感謝することの重要性を他者に伝える
誰かに何かをしてもらったことに気付かないでいる人がいたら、感謝できるようにそのことを教えてあげよう。誰かに何かをしてもらったことに気付いている場合でも、それをするのがどれだけ大変だったかは気付かないでいる人もいる。この場合もその人にそのことを教えてあげよう。
感想
人生も半世紀以上生きてみると、自分では全体にしない・同意できないという他者の行動でも、その大半は少なくともその理由だけは理解できるようにはなりました。しかしその理由も理解できない行動がまだ2つあります。1つはこちらがいつも挨拶を続けても挨拶を絶対返さないことで、もう1つは誰かに何かを質問したり依頼したりしておいて自分の望むものを受け取っても感謝の一言もなく沈黙を貫くことです。
主に電子メールを通してですが、大学の学生たちからだけでなく、友人や知人そして全く見ず知らずの人たちからも質問や依頼が頻繁に届きます。私を頼ってもらったことに感謝しつつ、こうした質問や依頼には自分のできる範囲ですぐに答える・応えるようにしています。それが気になって自分の仕事ができないからです。とても残念なことに、こちらに質問したり依頼したりする時は熱心でも、こちらからの返事を受け取ると、感謝の一言もなくあたかも私がもう存在しないかのような行動を取る人が少なくありません。全く見ず知らずの人たちや早期辞職することにした大学の学生たちの大半はこうですし、友人や知人の中でもこうして沈黙を貫く人が少なくありません。
別に感謝されるためにこうした質問や依頼に答える・応えるわけではありませんが、私にとっては人間として最低限の常識と思えることができない人たちには、以前それも特に断酒する前には酔った勢いで抗議・説教するという愚行をすることがよくありました。さすがに今はそんなことはしなくなりましたが、こうした行動が理解できなのは以前のままです。怒りの念はありません。ただ、自分で悲しくなり、相手が可愛そうになるだけです。精神的にもっと成長すれば、こうした非常識に思えることに対してももっと肯定的な感情を持つか、あるいは全く動じないかできるようになるのかもしれません。
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